旧約 新約

新改訳聖書

  

12弟子

ヨハネ

紹介
イエスの12弟子の一人で、ヤコブ(セベデの息子)の兄弟であり(マタイ4:21)、イエスの愛を受けた者として、新約聖書の中でヨハネ福音書、ヨハネ第一書、ヨハネ第二書、ヨハネ第三書、そして新約の預言書である黙示録を記録した(啓1:2)
殉教について
イエス様が愛された弟子であったヨハネは、ゼベダイの息子として、大きいヤコブと兄弟である。イエス様の昇天後、ヨハネは、エルサレムにとどまりながら、神様の御言葉とイエス・キリストのあかしのゆえに、今のトルコ地域である小アジア、エペソ地域に追放され、そこで働いている中で、ローマの皇帝ドミティアヌスによって湧いている油の釜に投げ込まれたが、奇跡的に生き残った。その後、パトモス島に有配され、そこで‘ヨハネの啓示録’を記録した。彼は使徒たちのなかで、唯一残酷な死から逃れた人だったが、福音のゆえに残忍な苦しみを得たヨハネの人生は、すでに人生その物が殉教の人生であった。

ペテロ

紹介
ヨハネ(ペトロとアンドレの父)の息子で、シモンとも呼ばれたイエスの12弟子の一人である(使徒の働き10:18)
殉教について
アンドレの兄として、主にアンテオケと小アジアで御言葉を宣べ伝え、ローマで十字架刑を宣告された。イエス様を知らないと三回否認したことで、自分はイエス様と同じ方法では死ぬ価値がないと思い、死刑の実行員たちに、自分を釘で十字架にかける時に頭を下にして逆さまにかけてくれるよう願った。この要求が通り主後64年ごろ、ネロ皇帝の時にバチカンで逆さまに十字架にかけられ殉教した。

ヤコブ(ゼベダイの息子、ヨハネの兄弟)

紹介
イエスの12弟子の一人として使徒ヨハネと兄弟であり、使徒の中で最初の殉教者として斬首された(使徒の働き12:2)。
殉教について
ゼベダイの息子であり、使徒ヨハネの兄として、使徒たちの中で最初に殉教された。ヘロデアグリッパが、ローマの皇帝、カリグラによってユダヤの総督になってから、キリスト人を迫害し始めた。特に、一番先にヤコブを復讐の対象に立てた。彼が刑場に連れ出された時に、彼に対して偽りの証言をした人が刑の執行の場所まで一緒に歩いて行ったが、ヤコブの顔は恐れるより、むしろ喜ぶ表情をしていたことに大きく驚いたと言う。だから、自分もキリスト人になると願い、二人は同じ日、同じ剣によって首を切られた。

アンドレ

紹介
ガリラヤ湖のベツレヘム出身で、イエスの12弟子の一人。
殉教について
ペテロの兄弟として、ロシアに初めて福音を宣べ伝えた人として知らされている。ギリシャのパトラスで逮捕され、総督によってX字の十字架刑にされたが、もっとゆっくり死ぬようにするために、釘で打たず、縄に縛られ、三日間ずっと十字架にかかった。恐ろしい苦痛の中でも、息がついている間、イエス・キリストを伝えたら、彼の態度の感動を受けた人たちが総督に慈しみを要請したが、結局、両端を地に垂直に差し込んだX字形の十字架上で息を引き取ったと言われる。

タダイ

紹介
イエスの12弟子の一人で、アルパオの息子であり、ヤコブ(アルパオの息子)と兄弟である(マタイ10:3)。
殉教について
アルパヨの息子として、小さいヤコブと兄弟であり、マタイの福音書とマルコの福音書では‘タダイ’として、(ルカの福音書6:16)と(使徒の働き1:13)にはユダとして記録されている。シリアとメソポタミアでシモンと一緒に福音を宣べ伝え、ペルシアで伝道する時、偶像を破壊したら、憤った人たちがタダイとシモン、二人を捕縛し、殺害したと言われる。殉教の姿は十字架刑にされたとも言われ、弓に打たれ殉教したとも言われる。現地人たちは、みなタダイとシモンが3,500人余りのキリスト人たちと共に埋葬されたと伝わる。

ピリポ

紹介
ガリラヤのベツレヘム出身で(ヨハネ12:21)、イエスの12使徒の一人である。バルトロにイエスを証言し(ヨハネ1:45~46)、アンドレやペテロと同じベツレダの人だった(ヨハネ1:44)。
殉教について
ピリポは、小アジアとシリア地域で説教しながら熱心に福音を宣べ伝えた。ヒエラポリス(トルコの‘パムカッレ’という地域)に着いて、その地方の住民たちが大きい蛇に仕えているのを見て、彼らの中で多くの人々をキリスト教に改宗させ、その蛇を破壊するのに成功した。そうしたら、指導者級にいる者たち、とくに迷信を利用して多くのお金を儲けた祭司長たちが怒って、彼を投獄し、ピリポは酷くむちに打たれた後、十字架に釘でかけられた。

シモン

紹介
新約聖書に登場する12弟子の一人で、セロトと呼ばれ(ルカ6:15)、カナン人であった(マタイ10:4)。
殉教について
パリサイ人たちで構成された激烈な熱心党員の一人である。アフリカモーリタニアで福音を宣べ伝え、イギリスでも福音を伝え多くの人々を改宗させた後、A.D.74年ごろイギリスで十字架で処刑されたと言われる。また、他の伝承によると、タダイと一緒にペルシア地域で伝道する時に、そこの神の像を壊したが、興奮した異教徒たちがタダイを殺した後、シモンは逆さまにして縛って、のこぎりで体を切って殺したと言う。

バルトロマイ(ナタナエル)

紹介
イエスの12弟子の一人である(マタイ10:3、マルコ3:18、ルカ6:14、使徒の働き1:13)。
殉教について
バルトロマイは、‘トロマイの息子’という意味で、名前はナタナエルである(ヨハネ1:43~51)。バルトロマイは、小アジア地方であるフリギアリカオニア等を渡り、現在のアルメニアのアルパーク地方で福音を宣べ伝え、異教の使徒たちの扇動を受けた異邦の王によって、生きたまま肌の皮がはがれた後、十字架にかかり、頭がはねられ殉教したと言う。

マタイ

紹介
イエスの12弟子の一人で、税関係の出身で(マタイ10:3)、マタイ福音書を記録した。
殉教について
収税人だったマタイは、タイのパチアとエチオピアで福音を宣べ伝えた。A.D.60年ごろエチオピアで王に迷惑をかけ、剣で首を切られ殉教したと伝わるが、エチオピアにある都市ナタバで矢じりやり(先っぽが二つもしくは三つに割れたやりで、斧・やり・釣り針を一つに束ねた武器)で殺害された。

マッテヤ

紹介
イエスの12弟子の一人で、ユダヤ人ヨハネの代わりに使徒となった人物である(使徒の働き1:23~26)。
殉教について
イエス様の昇天後、イスカリオテのユダの代わりに使徒となり(使1:23~26)、ユダヤで活動した後、今日のトルコカッパドキアで福音を宣べ伝えた。カスピ海地域、特にアルメニア地方で伝道し、コルキスで十字架の刑罰によって殉教したと言う説、四肢が切断された後、運命したと言う説、現在のエチオピアで斧で切られて死亡したと言う説、石に打たれたが、死ななかったから後で断首刑にされたと言う説等がある。後で彼の遺骨は、エルサレムで発見され、数多く投げられた石に打たれながらも福音を叫んだと伝わる。

ヤコブ(アルパヨの息子)

紹介
イエスの12弟子の一人で、アルパオの息子である(マタイ10:3)。
殉教について
使徒ヨハネの兄と区別するために、小さいヤコブと呼ばれ、イエス様の昇天後、エルサレムの監督として選出された。この時、エルサレムにあったユダヤ人たちは、キリスト人に大きく憤慨し、復讐するためにヤコブを標的にした。彼をエルサレムの聖殿のてっぺんに連れて行って落としてしまったが死ななかったから、傷を負わせ石(もしくは木の槌)で頭を打って殺したと言う。または、ペリシテとエジプトで伝道して、エジプトで殉教したと伝わる。

トマス

紹介
イエスの12弟子の一人として(マタイ10:2~4マルコ3:18ルカ6:15)、ディドゥモとも呼ばれた(ヨハネ11:16ヨハネ20:24ヨハネ21:2)。主と共に死にに行こう(ヨハネ11:16)」と言ったことがある。復活したイエス様の釘の跡のある手を見て、また手を脇腹に入れ、「私の主」と答えたことがある(ヨハネ20:24~28)。
殉教について
デドモとも呼ばれるトマス(ヨハネ11:16)は、タイのパルティア(パティア)とインドで福音を伝え、多くの人々をキリストへと改宗させた。その後、激怒した異教徒の祭司長たちが、トマスが建築した寺院で、石の十字架を背負っているトマスを槍で刺して、体を貫通して殉教されたと言われる。